教育

ポスト・フクシマの教育学(5)―メディアリテラシー(その1)

その1では、新しいメディアの可能性について、その2では新しいメディアの限界について論じることを予告して論じ始める。 人間の社会を形成しているのが人間である限り、人間の社会は人間の認識―世界・他者・自己に関する―に左右される。もちろん、何を認識…

ポスト・フクシマの教育学(4)―フマニスムスに回帰せよ

現在の政治だけでなく文部行政も人間中心でない。 このことは、一つ前の記事子どもの年間被曝許容量の欺瞞」で書いたとおりだ。これに関連して、以下のMSN産経ニュースの記事を読んで欲しい。 文部科学省の田村厚雄防災環境対策室長は20日未明、福島県…

子どもの年間被曝許容量の欺瞞

子どもの成長と健康に責任を持つ文部科学省が、子どもの被曝量を年間20ミリsvにするという暴挙に出た。すでにこの問題が俎上に載せられた2週間前に、このブログでも「子どもの年間被曝許容量を大安売り」として批判しておいた。 今日は、この20ミリsvという…

ポスト・フクシマの教育学(3)―一人ひとりの判断力を育てる教育

今回ほど、一人ひとりの判断力を養うことの重要性が痛感されたことは無かったのではないか。被災地の対象的な二つの事例を比較することから検討をはじめてみたい。まず小中学生全員が助かったという釜石の話だ。 一つは「想定を信じるな」。市教委とともに各…

学生と一緒にFD(Faculty Development)

本日は、学生と一緒に大学の授業を変えるというFDを企画・運営。沖縄から大学教育改革で有名な浅野誠さんに来ていただいた。まずはじめに、浅野さんが授業づくりに取り組むようになった歴史を語ってもらった。高校の時に、みんなが寝ている授業に対して、…

悪貨は良貨を駆逐する―教育実践の多様性のために

本日、生活指導のサークルで話題になったことは、喩えは良くないが「悪貨は良貨を駆逐する」ということだと考えた。たいていの学校では、同じ学年に複数クラスがあるから、当然複数の担任がいる。そういうところで、次のようなこと想像してみてほしい。3年…

ポスト・フクシマの教育学(2)―生活者の専門性を育てる

内田樹さんが、「阪神・淡路大震災との違いは「人災」であること」(中央公論2011年5月号)で、今回の原発事故に関連して、職業の特性について語っている。それを整理するとおよそ次のようになるだろう。政治家 原子力開発技術がある種の「外交カード」たり…

もっと大学を活用してくれるといいんだけど

昨夜は、子どもの小学校の校長が退職するということで、4年間のPTAの役員で送別会を開催しました。この校長は、本当にいい教員で、このような送別会が企画されることから分かるように親からの信頼が厚いだけでなく、子どもが遠くからでも校長を見つける…