ポスト・フクシマの教育学(3)―一人ひとりの判断力を育てる教育

今回ほど、一人ひとりの判断力を養うことの重要性が痛感されたことは無かったのではないか。

被災地の対象的な二つの事例を比較することから検討をはじめてみたい。

まず小中学生全員が助かったという釜石の話だ。

一つは「想定を信じるな」。市教委とともに各地の津波浸水状況、避難経路を想定したハザードマップを作った。子供に登下校時の避難計画も立てさせ、基礎知識を刷り込んだ。しかしあえて「その想定を信じるな」と教えた。想定に頼れば、想定外の事態に対応できなくなるからだ。
二つ目は「その状況下で最善の避難行動を取ること」。事前にどんな想定をしても、実際の津波は単純ではない。
三つ目は「率先避難者たれ」。人のことは放って置いてもまず自分の命を全力で守ること。「必死で逃げる姿」が周囲への最大の警告になるからだ。

「津波から児童生徒3000人全員を救った釜石の3つの秘訣」

ここでのポイントは、「自分の命を全力で守る」ということだろう。「教師の指示に従えば助かるだろう」ではなく、自分だけでも助かろうとして自分で判断して行動する力を育てることが重要だということだ。もちろん、無鉄砲に行動すればよいというわけではない。きちんと避難経路などの情報は教育しておかなければらない。そのうえでの個々人の判断力である。

逆に、ほとんどの子どもが犠牲になった小学校もある。

子どもを失った保護者からは「地震後、直ちに高台に避難すれば子どもたちは助かったのでないか」「なぜ大川小だけがこれだけの犠牲を出したのか」と厳しく指摘する意見が数多く出た。(中略)市教委によると、地震後、児童は校庭に避難し、一部は迎えに来た親と帰宅。残った多くの子どもたちが津波にのまれたという。

「津波で児童74人死亡・不明 石巻・大川小の被災状況調査へ」

 激しい揺れに歌声が悲鳴に変わった。校内は停電。机の下に入った子どもたちは先生の指示で校庭の真ん中に集まった
 先生たちは児童を座らせ、点呼を取った。近所の人たちも避難してきた。
(中略)
 自宅から車で詩織さんを迎えに来た母久美さん(38)は学校到着を午後3時25分ごろと記憶する。「名簿を手に、迎えに来た保護者や避難住民に応対する先生たちもいた」。詩織さんを車に乗せ、アクセルを踏んだ。津波はここまで来ない」と思いつつも、北上川より5メートルほど高い堤防近くの新北上大橋に向かい、さらに標高のある南を目指した。
 永沼さんは「列が裏道に進み出した時『バリバリ』という音とともに黒い水しぶきが来た」。睦子さんと兄弟を見失い、子どもたちに叫んだ。「山さ上がれ」。裏山の斜面に飛びついた。雪で滑り、波にのまれたが、押されるように斜面に上がった。3メートルほど先の水面に女の子がいた。そばの竹を左脇に抱えるようにして腕を伸ばし、手を握った。
(中略)
 列の後方に、5年生の男の子がいた。津波の翌日、男の子を保護した顔見知りの男性によると、男の子は震災から1カ月が過ぎたころ、当時の状況をこう明かした。
 すごい音がして、津波が前から来た。腰を抜かし、その場に座り込んだ子もいた。自分で判断して、裏山に逃げた。竹林で他の男の子2人と大人十数人と一緒になり、一晩過ごした。大人が持っていたライターで火をおこした。「眠れば死ぬんだからな」と言われ、一睡もしなかった−−。
(中略)
 校舎に残る三つの時計は、いずれも3時37分を指し止まっている。地震から津波到達まで、恐らく40〜50分あった。9日の保護者への説明会では、校庭で点呼を取るなどした対応に「なんですぐに逃げろって言わなかったのか」と非難の声も出た。だが一方「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。誰が悪いと思ったことはない」と話す保護者もいる。

「東日本大震災:その時なにが…大川小、津波で犠牲者多数」

これから論じるのはあくまで結果論なので、この学校の教師の今回の対応が正しかったどうかを議論したり、ましてや非難したりする意図は毛頭無い。この例をもとにして、これまでの学校教育が抱えてきた構造的な問題を考えてみたいというのが趣旨なので誤解しないで欲しい。

点呼をとったりしている間にも逃げる時間は減っていく。地震だけの場合なら、校舎に取り残されている人はいないか、ケガをしている子はいないかという確認は良い。でも、津波が来るとなると一刻も早く避難することが必要になる。まずは避難できる人から避難しても良かったのではないか。地震後、教師が校舎を見回っていたというから、取り残されている子がいても見つかる可能性があったと思われる。
津波が来るという恐怖の前では、少しでも高いところに「我先に逃げる」。個々の判断が重視される教育がなされており、津波が来るかもしれないという状況が理解されれば、そう判断して行動する子どもはたくさんいたのではないだろうか。「実際自分で判断して裏山に逃げた」子もいたわけだ。

これまでの日本の教育は、子どもの判断力を育てていないどころか、逆に判断力を奪ってきた。
たとえば、○月〜○月までしか手袋をつけてきてはいけない、コートを着てはいけない、などと規則で決めてしまう。今日は寒いから手袋をしようとか、今日は暑いからコートはいらない、というのは個人の判断の問題ではないのか。身体的状況は個人ごとに・日ごとに異なるのだ。春になっても風邪気味でコートを着たいと判断する子どもがいる方が当たり前なのだ。しかし、多くの学校はそれを許さない。
また、クラス単位で教室から体育館へ移動、体育館から教室へ移動という状況で、二列で無言で移動しなさいという教育が行われるのを何度も目撃してきた。もちろん、他の教室で授業をしていれば「迷惑にならないように無言で移動する」という判断ができなければいけないだろう。しかし、そうでなければ、遅れない限りは、おしゃべりしながら移動して何が問題なのだろうか。どんな場合にも例外なく、理由もなく無言で移動させ、それができなかったら教師の説教が始まってしまうのだ。教師は同じことを言っていればいいので楽なのかもしれないが、これでは子どもの判断力は育たない。育つとすれば、指示を待つのが正しいという判断だけだろう。
現在の学校は、一律に統制してしまうことで、子どもたちに判断させないようにしてきた。同様の例は、学校教育のいたる所にころがっているだろう。

もちろん、学校がこのような行動をとるのは、「児童生徒は教師の言うことに従うものだ」という学校の硬直した教育観が一方にあるのだが、他方で、このように行動せざるを得ない外圧があることも斟酌しなければならない。

上の記事で、保護者の声の「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。」という声が紹介されている。これは裏を返せば、もし点呼せず子どもたちにめいめい判断させて避難させていて、逃げ遅れた子が出た場合、保護者・地域・マスコミは「ちいさな子どもを置き去りにした」と非難するということだ。どちらがより多くの子どもを救うことができるか、ということは判断の外になってしまう。教師の行動は、「みなかわいい教え子なので、誰も置き去りにしたくない」という善意の判断からのものだろうが、「説明責任」ゆえの一律主義が骨身にしみこんでいることもまた事実なのではないか。

内田樹さんがツイッターだったと思うが、

西条さんが被災地で300枚毛布が届いたが、避難所に500人いるので、平等性を配慮して一枚も配らない人の話を書いていました。僕はこれは平等性への配慮ではなく、誤答することへの恐怖だと思います。300枚を500人に配る出来合いの方法はありません。

と書き、中央公論2011/5月号「阪神・淡路大震災との違いは『人災』であること」では、

日本のエリートたちは「正解」がわからない段階で、自己責任・自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。これは受験エリートの通弊である。彼らは「正解」を書くことについては集中的な訓練を受けている。それゆえ、誤答を恐れるあまり、正解がわからない時は、「上位者」が正解を指示してくれるまで「じっとフリーズして待つ」という習慣が骨身にしみついている。彼らは決断に際して「上位者の保証」か「エビデンス(論拠)」を求める。自分の下した決断の正しさを「自分の外部」に求めるのである。仮に自分の決断が誤ったものであったとしても、「あの時にはああせざるを得なかった」と言える「言い訳の種」が欲しい。「エビデンス(論拠)とエクスキュース(言い訳)」が整わなければ動かないというのが日本のエリートの本質性格である。良い悪いを言っているわけではなく、「エリートというのは、そういうものだ」と申し上げているのである。

と書いている。ここで考えなければならないのは、学校の説明責任に対する追及が、子どもたちの判断力育成を妨げる役割を果たすということだ。なぜなら、責任が追及されればされるほど、責任を回避するためのシステムを発展させてしまうからだ。横並びの一律主義もその一つ。台風の暴風雨警報がいまにも出そうな段階で学校を休校にするかしないのかを決めるときに、近くの学校の校長同士で電話相談しあってから決める。そうすれば「他の学校もそうだった」という言い逃れができる。こうならないためにも、各学校校長の判断の自由、各教員の判断の自由を保障することが大切だ。そのことが、まわりまわって子どもたちの判断力育てることにつながるのだ。文部科学省教育委員会、保護者、マスコミ等の外圧が、個々の学校・教師をがんじがらめにすることで、かえって子どもの教育を阻害している現状があることを知っておく必要がある。