ポスト・フクシマの教育学(5)―メディアリテラシー(その1)

その1では、新しいメディアの可能性について、その2では新しいメディアの限界について論じることを予告して論じ始める。



人間の社会を形成しているのが人間である限り、人間の社会は人間の認識―世界・他者・自己に関する―に左右される。もちろん、何を認識するのかは究極的には唯物論的に規定されているのではあるが、人間は妄想することもできる、ということも含めて、完全に物質に規定されているわけではない。そして、現在、人間の認識に甚大な影響を与えているのがメディアである。

さて、今回の原発事故では、人々の認識に巨大な影響力を持っていた―そして現在も大きな力をもっている―旧メディアに対して、新しいメディアであるSNSやツイッターが人間の認識をどれだけ変えうるのかという現実の実験が続いている。

周知のように、現在の日本の電力会社は独占企業であるから、メディアに莫大な予算を使って広告を出す必要はない。しかし、実際には、東京電力が年間200億〜300億の莫大な広告費を出している。実際に圧力をかけようがかけまいが、メディアが原発批判を自己規制するに十分な金額だ。たとえば、次のような記事がある。

 原発ムラからの圧力は彼らのような研究者たちだけでなく、メディアにも加えられるという。たとえば、'08年10月、大阪の毎日放送が「6人組」を追ったドキュメンタリー番組を放送した。その後の騒動について、民放労連の関係者が言う。
「番組放送後、関西電力からは『反対派の意見ばかり取り上げるのは公正ではない』という申し入れがあり、局側は『番組の最後で推進派の教授と討論する場面を入れている』と反論したそうですが、関電は納得しなかったのでしょう。その後、しばらくCMを出さなかったと聞いています」
 この後、毎日放送では、関西電力の社員を講師として、原発の安全性についての「勉強会」も開かれたという。関西電力サイドは、この件について「放送された番組の内容を受けてCMの出広量を減らした事実はない。講師派遣についても、先方の要請で行うことはあるが、こちらがねじ込んだりしたという事実はない」と否定する。
 いずれにせよ、今回の事故が発生するまで原発ムラの産・官・学連合は利権を分け合い、好き放題やって「熊取6人組」など反対派の研究者を虐げてきた。

「迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち危険性を訴えたら、監視・尾行された」

原発事故のあと、ほとんどの大手メディアがリスクをきちんと説明せず、「安全」と「健康に影響はない」を強調し、危険回避のために数値が高いときほど公表が必要(避難のため)という鉄則とは逆に、数値が下がってからしか公表しないというおかしなことになっていたのは、このようなメディア買収と無関係ではないだろう。

また、政府や自治体も原発利権集団であり、安全神話を振りまいている。福島県の子どもの年間被曝許容量20msvについて、原発推進派と思われる研究者であり内閣官房参与でもある小佐古氏が、「この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」として内閣官房参与を辞任した。しかし福島県は、「環境の汚染の濃度が100μSv/hを越さなければ全く健康に影響を及ぼしません」ととんでもない見解を表明する長崎大学の山下俊一氏を福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとして講演させ、福島県のホームページには都合の良いように編集した動画を掲載している。県という権威を用いて、それをひろく信じ込ませようとする力が働いている。

あるいは学校というメディアも原発安全神話を振りまいてきたことは隠しえない。たとえば環境教育では、しばしばエネルギー問題が採り上げられてきたが、電力会社がスポンサーになり、講師になって、水力・火力・原子力のベストミックスを宣伝してきたのは周知の事実である。日本ではユネスコスクール関連で東京電力が「エネルギーとESD教育研修会」を開催したりしている。(ちなみに、私がユネスコスクールに興味を持ち、活動を始めたのは、日本のユネスコスクールが原子力推進と親和的であることに疑問を持ったからで、世界のユネスコスクールの動向をもっと知る必要があると思ったからだ。)

このような、放っておいても流れてくる国民にとって受動的なメディアである大手メディアがあまりにも信用ならないので、とりあえず自分の身(と家族・子どもの身)は自分で守ろうと考えた人たちが、能動的にアクセスしなければ情報が得られないUstream(ユーストリーム)、ニコニコ動画、Youtube等にアクセスし始めたのではないか。まだまだ大手メディアに比べれば少数ではあるが、孫正義、岩上安身等によるインターネット放送についての情報がTwitterでヨコに広がり、それらにアクセスする人が増えたことは間違いないだろう。たとえばUstreamのiwagamiチャンネルは、3月の1ヶ月間だけで、ページビュー261万9182、総合視聴回数377万1199、番組時間648時間に達した。積極的にアクセスしなければならないという条件付きではあるものの、以前なら知ろうと思ってもなかなか接することができない情報が入手できるようになった意味は大きい。少なくとも危機に直面している福島の母親たちが、我が子を守るために権力者が流す情報を疑い、信憑性のある情報をもとめてTwitterを利用し、急速にヨコにつながりつつあることはとても大きな意味を持っている。本日も、福島の母親たちの文部科学省との交渉がUstreamで流されたが、そこで20msv/yearという基準を決めた文部科学省の杜撰さと独断専行が白日のもとにさらされた。これらを大手メディアが流さないと、大手メディアはますます意識的な視聴者から見放されてくるので、徐々に動いていくのではないかと思われる。

ところで、ツイッターの場合、情報を求めている人たちにとってだれのTweetをFollowするか、ということが死活的に重要になる。生の声を伝えてくれたり、実際に取材していたりするジャーナリストをフォローすることで一次情報に近い情報を素早く手に入れることができる。また、今回で言えば、現地にいながら現状を少しでも動かそうとしている人をフォローし、またそこに情報を集中することで、人々がつながりはじめ、大きなうねりが生じている。原発事故の前は、おそらく名もないひとりの福島県民だったのだろうが、@savefukushimaaさんは多くの人をフォローし、またそれによって多くの人からフォローされ、彼をハブにして情報が行き来して、具体的な推進力となっている。

中東のジャスミン革命は、そもそも政府の発表を多くの人たちが信じていなかったから成功したと言われている。次回に論じるが、日本では、まだまだお上の言うことは正しいと思いこむ人たちがたくさんいる。しかし、政府の発表も、御用学者を登場させる大手メディアもこの間急速に信頼性を失っている。急激に変わることはないかもしれないが、ツイッターやSNSの影響力が今後増してくることは確実だろう。

教育の問題としては、いまほどメディアリテラシーを鍛えるのに適した教材が現実の中にあふれていることはなかっただろう。大手メディアがなぜ東電寄りの報道をするのかを学ぶ良い機会になるし、いかに政府や自治体が信用ならならないかも学ぶことができる。(先に挙げた福島県放射線健康リスクアドバイザー山下俊一教授の「100msv浴びても良い」という吹聴に対して原子力安全委員会は本日の文部科学省交渉の場で「注意する」と約束した。このように要注意人物を平気で雇っているのだ。)どうやって正確な情報を集めるのかに関して、TwitterやUstreamなどを通して独立系のジャーナリストの意見を聞く可能性について学ぶことができる。

教育はいついかなるときも同じペースで決まった内容を学べばよいというものではない。いまメディア・リテラシーの教育を行うことは、平常時に行うときの何倍〜何十倍もの効果を期待できる。いまメディア・リテラシーの教育をしない手はないだろう。