日本のリーダー像―甲斐性がないのに威張るのは得意?

さて、福島の放射能汚染で子どもと若者の命をどう守るかが緊急かつ死活的問題になっている。

すでに本ブログでも子どもの年間被曝許容量の欺瞞で論じたように、文部科学省が空中放射線量のみから、放射線管理区域の4倍にも達する年間20mSvを子どもにも当てはめて問題なしとしたことに端を発している。

問題は、その決定を受けた福島の学校や家族の対応である。避難する条件がある人はすぐに避難しているだろうし、条件が無くても何が何でも生き延びなければと考えた人たちは、すでに避難済みだと思うので、残っている人が福島県民の平均だとは言えないが、Twitterで見ていると、残っている人のなかで必死で情報を集め避難しようとしている人は少数派なのではないか、と思われる。

むしろ大変だと騒いでいる人を変人扱いするような対応もあちらこちらで耳にする。

いま福島で起きている事態から、日本におけるリーダー像について考えてみたい。

まず、次の2つのつぶやきを見て欲しい。

福島・いわき在住の女性「子供も親もかわいそうなの。校長先生が文科省の言うなり。給食も、牛乳も福島県産。お弁当、水筒禁止。雨の日のお迎え禁止。体育見学にすると成績に響くよ と教師にいわれる」 ..

福島周辺の妊婦や幼い子どもとお母さん、せっかく避難しようとしているのにさせない圧力が身内にあると聞いて愕然。「嫁が家族をおいてなんで逃げ出すんだ」と。あぁ、日本の父権主義。子どもやお母さんを今、放射線から守らなければ未来がなくなることをなんとかして伝えたい。

どこまでが事実なのかは確認できないが、これが事実だとすると日本のリーダー像が浮かび上がってくる。この校長にしろ、この父親(あるいは舅・姑?)にしろ、自分の言うことに従わせることをリーダーシップだと勘違いしている。

グループのメンバーを命がけで守るのではなく、あるいは、守れるかどうかを自ら情報を集め検証するわけでもない。メンバーの命を守る甲斐性がないことを認めず、ただ他者を責めることで自分の権威を保とうとする。

そもそも上記の校長は何の権限があって他人の命を危険にさらせるのだろうか。このようなリーダーには従う必要はない。無視して弁当・水筒を持参すればよい。給食以外食べさせないというなら、人権侵害で訴えればよい。あるいはそんな父親や舅・姑は放っておいて、子どもをつれてさっさと逃げればよい。

あちこちの自治体が、避難してきた人を迎え入れる態勢を整えているのだ。永住してもよいなどと大サービスのところもある。過疎地などの事情もあるかもしれないが、人が来ることを大歓迎している所に行けば、ありがたがられる。経済的には豊かではなくても、福島にいるよりは健康に生きていけるはずだ。

それにしても、日本のあちこちのリーダーがこんな調子なのだから、国のリーダーにろくな人が登場しないのは無理もないなぁと悲しくなってしまう。