人の足を引っ張るんじゃなくて、自分のできることをやろうよ

先日、知人の紹介で、レイバーネットTVというものに出演した。テーマは、大阪の橋下知事。維新の会とともに、教育基本条例などというとんでもない条例を提出したのだが、番組の中で私に与えられた役割は、なぜ橋下知事の支持率が高いのかという分析だった。

そこでの主張についてまとめておきたい。

一番主張したかったのは、橋下知事は、学力テストの成績を上げたいなら、教育委員会や学校や教師バッシングを扇動したり、学校間競争、教師間競争を激化させるのではなく、国内有数の大阪の貧困問題を解決するのが筋でしょう、ということ。

番組で示した図を掲載する。学力テストの結果と貧困率が関係することを示そうとしたのだが、都道府県別の貧困率のデータはどうやら存在しないようなので、厚生労働省から、生活保護率に関するデータをとってきた。それと同じ年の学力テストの中学校の結果の都道府県別順位と関連づけてみた。なぜ中学校かというと、貧困は雇用問題と関連しており、雇用の見通しがなければ、学習意欲も湧かないということが想定されるからだ。

ついでながら、学力テストで計測されるのが学力と言えるかという大前提の議論があることは承知している。今回は、橋下知事が順位を上げたい学力に依拠するからこそ、橋下知事のやるべきことは違うでしょう、と言うために、学力の中身は問わないこととする。

もちろん、単純に生活保護率と学力が正比例するわけではない。都市部と村落部の違いなど多様な問題が絡んでいる。しかし、多少のでこぼこはあるにしても、生活保護率が高い都道府県では、概ね学力テストの順位が下位となり、生活保護率が低い都道府県では、学力テストの順位が上位に来ている。

だから、橋下知事が学力テストの順位を上げたいのなら、日本でワースト1の生活保護率をなんとかすることが、知事本来の仕事だろうということだ。

しかし、なぜ、本来やるべきことをやらずに、教員や公務員をバッシングする橋下知事の人気があるのかということを考えなければならない。

これに関しては、隣の芝生は青いと言うが、貧困に陥ると、身近で自分よりちょっと豊かに見える人に、自分と同じような苦しみを味合わせてやりたい、という貧しい気持ちになってしまうということがあるだろう。まさに貧すれば鈍するである。

表にある大阪の生活保護率の急激な伸びに注目していただきたい。貧困が進んだのは、派遣労働法の度重なる改悪等で、大企業が労働者を正社員として雇用せず、多くを派遣やパートに置き換えていったからだ。正社員も決して楽なわけではないく、派遣やパートよりはマシだろうということで、長時間過密労働でも、低賃金で我慢させられてきた。だから、この10年ぐらい、庶民の給与所得は下がり続け、逆に大企業はあのバブルの時代よりもはるかに多くの内部留保をため込んできたのだ。

本来、貧困になったのは大企業がもうけを独占したからであって、貧困の人々の怒りはそこに向かうべきなのだ。しかし、大企業の味方である橋下知事は、そこに怒りが向かわないように、身近なところに敵を作り出し、庶民同士に足の引っ張り合いをさせているのだ。

さらに、橋下知事は、中韓批判の急先鋒でもある。これも政治家の常套手段だ。貧困問題に象徴されるように内政に問題があるときに、庶民の目をその問題からそらさせるために、周辺国の悪口を言うのだ。この論理にも庶民は乗っかりやすい。なぜなら、貧困で自己肯定感が低くなってくすぶっているときに、何の努力をすることなく、日本人であるということだけで自信を持ち、偉そうに批判する側に回れるからだ。

人々を貧困に陥れておいて、その怒りを貧困な者同士のいがみ合いに誘導したり、周辺国への差別意識を煽って貧困な自国の政策を支持させていく。見事な作戦ではないか。

前回のブログ記事にも書いたが、アメリカではウォール街占拠デモに見られるように、貧困層の富裕層に対するデモが広がりつつある。正しく敵に向き合っているわけだ。これこそがただしい怒りの使い方だろう。

ところで、一昔前に、学力低下論というのがあった。子どもたちの学力はデータを見る限り決して低下しているとは言えないのだが、子どもの学力が低下したと大騒ぎになった。もちろん、政府やマスメディアによる誘導によるものが大きいのだが、これに国民の多くが飛びついたことに関しても、橋下支持と同じような問題が見いだされるのではないか。

まず第一に、「近頃の子どもの学力は低い」と言えば、大人である自分たちは偉かったと思い込める。自信をなくしている大人が、自ら努力することなく、自分が上だと思い込めるのだ。

さらに、「現在自分たちが貧困なのは、日本が国際競争で遅れているからだ」という心理もあるかもしれない。このことが、学力低下論と重なって、子どもたちの学力を上げないと日本が大変なことになる、という危機意識を持たせているのかもしれない。

しかし、日本の大人は、世界的に見れば、科学的教養が低く、科学的発見などについての関心が低いという調査結果が出ている。自分が偉かったと思い込んで溜飲を下げたり、子どもたちを国際競争を勝ち抜くための学力競争に参戦させるのではなく、生活を豊かにするために大人には何が出来るか、なにをすべきなのかを、まず大人が考え、実行しましょうよ。

それなくして、豊かな日本はやってこない、っていうか日本終わっちゃうよ、私はそう思う。