国にもライフサイクルがある?

10月中旬に、協定校であるハノイ国立教育大学の創立60周年記念式典とそれに併せて開催されたアジアにおける教員養成改革に関する国際会議に参加すべく、ベトナムに行った。会議や式典の様子については、勤務先のニュースレターに寄稿したので興味がある方は、そのうち掲載されるので勤務先のホームページから探してくださいね。

ここでは、それとは違ったことを書きます。

とにかく、ベトナムは若い国だ。

まず元気、活気がある。子どもが落ち着きなく跳ね回るように、人々が元気に動き回っている印象がある。

ベトナムに行って一番驚くのは、交通である。車1台につきバイク(ほとんどはスクーター)5台ぐらいの割合で、かなり混雑している。交差点で車が10台いれば、バイクは50台ぐらいいることになる。ちなみに、バイクはほとんどがホンダ製で、ハノイ教育大学の女子学生さんから教えてもらったところによれば、2年ぐらい前まではHondaという固有名詞が、オートバイという一般名詞として使用されるのが普通だったとか。

話をもどすが、驚いたのはバイクの多さではなく、交通習慣である。ベトナムは基本的に信号がない。日本の大都市の市街地に匹敵するような交通量なのに信号がないのである。大学とホテルや空港をハイエースで送迎してもらったのだが、ジェットコースターよりも遙かにスリルがある。日本なら、右折するとき、対向車がいないことを確認して右折する。あるいは黄色信号や右折信号になって右折する。ところが、ベトナムでは対向車が来ていても、強引に左折(ベトナムは右側通行なので)する。対向車に突っ込むような形で左折するのだ。これが普通なので、対向車もうまくすり抜けたり、止まったり、あるいはこちら側がすり抜けたり、止まったりしながら、事故ることなく流れていく。その車の隙間を、バイクが大げさではなく、あと2〜3センチで接触する間合いですり抜けていく。しかも、ときどき、車とバイクの間を自転車が走っていたり、バイクが逆送してきたりするのだから、どれだけすごいがわかるだろう。ちなみに、少し郊外に出るとこれに牛が加わる。歩行者にとっては、道路を横断するのは命がけの一大プロジェクトだ。車やバイクのドライバーと目で会話しながら、道路を渡り、車線の間で立ち止まったりしながら、道路を渡るのだ。私のように慣れていない者にっては、本当に危険このうえない。というか慣れていても危険だと思うのだが…。

こういう道路事情なので、とにかく車でエンジンの次に使うのがクラクションだ。前を走っているバイクを横によけさせようと、つねにクラクションを鳴らしている。日本では、クラクションはついていても、ほとんど使われないが、ここまで使われれば、クラクションもさぞや満足だろうと思われる。だから、街はとにかくうるさい。あっ、そういえば、バイクは3人乗りは当たり前。両親で前後をはさんで幼児がまんなかで3人乗りというのをたくさんみたが、若者がスクーターに5人乗っているのも目撃。さらに、荷物をこれでもかというほど積んでいるバイクも多かった。どうやったらあそこまで積めるんだろうという感じ。日本で言えば、スクーターの荷台に米俵を6〜7個乗せているような姿を想像してもらえれば良いだろう。

いずれにしても、おそらく経済発展の中であと10年もすれば、地下鉄や電車などが発達して、こういう光景は見られなくなるのではないかと予想する。せっかくなので、いまのベトナムを見ておくのも悪くないと思う。興味がある人はぜひ一度行ってみてほしい。

次に驚いたのは、朝5時から、大きな音を出してラジオ体操ならぬラジオダンスをやっていることだ。宿泊したホテルのすぐそばの池の周りで大音量の音楽に、指導する人のハンドマイクのような音とともに、女性が一列になって、1時間踊り続けている。パラパラほど単純ではないが、まあ単純な踊りをいくつか踊っているようだ。運動をするからか、果物や野菜豊富な食事のせいか、ベトナムで肥満の男女はまったく見なかった。女性はみんな、本当にスリムなのにグラマーという、なんとも垂涎の……。批判があるといけないので、このあたりでやめておこう。

大学の記念式典では、学生が創意工夫して、記念式典を盛り上げようとしていた。自分たちで大学やこれからの社会をつくっていくという強い意志が感じられた。社会主義と資本主義の違いもあろうが、日本の若者が戦後のある時期まで持っていたエートスと似ているのではないかと思った。うらやましくもあり、あと20年後どうなっているのかということに興味を持った。

帰りの空港で、ベトナム独特の三角の編み笠を買おうと思ったのだが、アゴひもが、よく子どものプレゼントなどを包むときに使う派手なピンクの化学繊維のメッシュのリボンでげんなりしてやめた。思い返してみると、ハノイの街中でも、派手な色の樹脂や化学繊維のものが好んで使われていた。ちょうど日本の高度成長期もそういう感じではなかったか。

いろんな意味で、ベトナムはいまから育っていく子どもや若者の国なんだなぁと思った。それに比べて、日本はもう老人の国だなぁと…。で、日本は上手に年齢を重ねているんだろうか。若い頃の不摂生のために不健康になり、おまけに頑固で…みたいになってないかなって自問自答することが必要な気がする。ローマ帝国もしかり、オスマントルコもしかり、国も老いて、死んでいき、そして、今の日本とは全く違った国としてまた生まれてくるんだろうなぁ。