退路を立って政策立案せよ―生活保護給付抑制に思う

生活保護受給者が増えているので、財政負担を軽減するために、生活保護給付を抑制しようとする動きが急なようだ。以下、毎日新聞の記事を手がかりに、この問題の解決の在り方について考えてみたい。

現在の政府の政策は、毎日新聞の記事のタイトルにあるように、「給付抑制」が本音だ。

受給者が200万人に達した生活保護制度の見直しに向け、国と地方の協議が30日、始まった。双方とも就労支援を通じて受給者の自立を図る点では一致しており、8月をメドに具体案をまとめる。だが、「3兆円を超す保護費の抑制」という本音も透け、「困窮者の切り捨てにつながる」との懸念も出ている。

生活保護:国と地方が制度協議 8月にも具体案、本音は給付抑制

まず、生活保護受給者が増えたら、「給付を抑制して困っている人がいても給付しないようにする」という政策は、政策という名に値しないことを指摘しておこう。

生活保護受給者が増えるということは、多くの人が生活保護を受けなくても生活できるような社会を政府が作り出せていない、ということを意味する。要するに失政が原因なのだ。

ところが、「生活保護受給者が増えたら給付を抑制すれば済む」などと考えてしまえば、棄民でしかなく、ほとんどの人が生活保護を受けなくても暮らせる社会を作るなどというミッションを政府は持つ必要がなくなってしまう。

もちろん国は、憲法25条にあるように、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障しなければならないことになっているので、そんな政策は憲法違反なのだが。

ここで一番重要なのは次のような立場だ。すなわち、政府は、困窮者に生活保護支給を確実に行う財政負担を引き受けつつ、「それを減らさなければ大変だ」という退路を断った状況に自らを追い込むということだ。そうしてこそ、まともな解決策を絞り出すことができることになる。

毎日の記事に有るとおり、雇用促進はその1つの柱だ。

全国最多の15万人、市民の18人に1人が受給者という大阪市平松邦夫市長は「雇用政策で対応すべき人を生活保護で支えるのは問題だ。制度をこのままにしておくことは許されない」と訴えた。
増加が目立つのは現役世代の受給者だ。リーマン・ショック直前の08年8月は約11万8000世帯だったのに、今年1月には約23万9000世帯へと倍増した。このため、同省は「働ける人」への就労支援を強める。先行して09年9月に特別チームを作った大阪市は10年度、7258人を支援し、3割に当たる2319人が就職した。
就労支援強化の背景には、給付削減の意図もある。厚労省によると、生活保護を受給せずに正社員になれば、保護が不要なうえ税なども負担してもらえるため、1人につき生涯9000万〜1億6000万円ほど財源が浮くという。

確かに、雇用が進めば、生活保護から脱却できるだけでなく、税収も期待できる。一石二鳥だ。しかし、現在雇用が進まないのは、生活保護に甘えて働かないからではない。政府が企業にきちんと正規雇用として雇用させる政策をとっていないからだ。いくら職業訓練しても、就労支援しても、そもそもまともな賃金で働く場所がないのだから、就労支援に使う税金の多くは無駄な支出となるのだ。このことは、下記のとおり、毎日新聞記事の続きにある通りだ。

それでも大阪市の場合、就職した2319人のうち、保護から抜け出た人は7%、164人にとどまる。非正規雇用が多いためだ。
(中略)
30年間のケースワーカー経験を持つ帝京平成大の池谷秀登教授は「雇用の場が十分に確保されていない中では、貧困問題の根本的解決にはならない」と警鐘を鳴らす。

このような状況に対して、生活保護を一定期間で切ると脅すことで、就労が促されると主張する人が結構いる。しかし、焦って条件の悪い職についたら、またすぐに生活保護に逆戻りだ。むしろ、湯浅誠氏が指摘するように、生活保護を貰いながら、法律違反か違反スレスレの、食うや食わずの賃金しかもらえない劣悪な仕事を選ばず、きちんと暮らせる仕事を選ぶことが重要だ。長期的に見れば、こちらの方が生活保護受給者を減らすことになるはずだ。同時に、劣悪な労働は淘汰され、ワーキングプアに陥る人が減ることになる。生活保護受給予備軍も減るわけだ。だから、下のような主張が出てくるのは当然だ。

受給者支援団体が28日に東京都内で開いた集会では「生活保護の水準改善こそ全体の底上げにつながる」などの意見が相次いだ。
就労支援に関し、大阪市西成区NPO「釜ケ崎支援機構」の沖野充彦事務局長は「精神や発達障害、極度に自信を失っている人などは『働く意欲がない』とみられがち。精神面を含めた丁寧なサポートが不可欠だ」と指摘する。

世間には、働いているのに生活保護以下の収入しかないから、生活保護は貰いすぎだという主張がある。そうではない。そう主張する人たちは、それなら生活保護を貰って、より収入の良い仕事を探すべきなのだ。あるいは、現在の低賃金を引き上げるように運動すべきなのだ。

生活保護の給付金が減っても、自分の低賃金が解消されるわけではない。脚の引っ張り合いをしても何も解決しない。自分より他人が不幸になるのを見て溜飲を下げているようでは、いつまでたっても人々が普通に幸せになれる社会にはならない。

マクロに考えれば、貧困を救うためにはお金が必要だ。政府や自治体が出したくないのなら、他のところから出させるしかないはずだ。他の所といっても、ギリギリの生活をしている庶民から出させることは無理だろう。だから、金を出せるところと言えば、未曾有の内部留保をため込んでいる大企業をおいて他にない。そもそも、生活保護が増えているのは、大企業が賃金をけちって正規雇用を減らしてたんまり金を貯め込んだからなのだ。だから、それを労働者に返させるだけで、かなりの解決になるはずなのだ。

最後に、生活保護に頼って働かない人がいる、という主張についても少し考えてみたい。ホームレスの人たちも実は働き者であるというのは、湯浅誠さんのNPO「もやい」の活動が示しているとおりだ。生活保護をもらえて安定すると、食事をつくったりしながら、こつこつと働きはじめる人が多いのだ。

確かに、ごく一部、生活保護にしがみついて生きていこうとする人はいる。それだって、これまでの教育の中や、労働現場で、自分の能力を発揮して楽しかったという経験が不足していることが原因にあるのではないか。

そのような人が育たないように、学校や労働者の教育の場を見直すのが政策であって、そのような人を生み出しておいて切り捨てるというのは、政策とは言わないだろう。