ポスト・フクシマの教育学(6)―メディアリテラシー(その2)

さて、今回はメディアリテラシー(その1)の続きのお話

前回は、新しいメディアである、TwitterSNSFacebook)、Ustreamニコニコ動画等の可能性について論じました。今回は、その落とし穴について論じつつ、どのようにしてそれらを有効に利用すべきなのかということについて論じてみたいと思います。

前回も述べたように、ツイッターでは自分が欲しい情報を提供してくれそうな人をフォローするのが普通でしょう。それは友人関係であれ、特定の目的で情報収集しているのであれ同じことです。

このことにはメリットともにデメリットもあります。

まずメリットですが、自分が欲しい分野に関連する様々な情報がどんどん入ってきます。誰をツイートするかにもよりますが、たとえば原発事故に関して言えば、直接取材しているジャーナリストの生の声、原発の問題性や自然エネルギーに関するインタビューや講演など動画サイトへのリンクを張ったツイート、海外のメディアへのリンクを張ったツイート、はては東大の物理学研究者の海外学術誌に掲載したてのホットな英文専門論文へのリンクなどがあります。様々な専門家のフィルターを通して集まってくる情報なので、かなり確度の高い情報を多様に多層的に収集することができます。このようなことはこれまでになかったことでしょう。グーグルのようなヒットした順番での掲載だと、玉石混淆の情報になることと比べてみると良いかもしれません。

しかし、裏を返せば、原発容認派や推進派は、容認派・推進派のオピニオンリーダーのツイートばかりフォローすることになるでしょう。こうして、原発の良い面ばかりを見せられて、原発は安全だ、放射能は健康によいなどと信じ込んでいくことになります。

いずれにしても、好きな人をフォローするというのは、異見の交差が少ないということです。そうなれば、自分の考えに近い耳障りの良い言葉に満足して、批判に耳を傾けないということになりがちです。すでにこのブログでも「批判に耳を傾ける」で指摘したことですが、批判と対峙することは人間が深く考えるためにどうしても必要な作業です。これを通してはじめて強靱な精神と鋭敏な判断力が育つのです。

(ただし、今回のフクシマの件で、原発反対派に対する罵詈雑言や誹謗中傷が少なく見えるのは、単に批判者が入り込んでいないのか、さすがに被害者を前にして空気を読めているのか、判断は付きかねます。現地の人たちは、理論論争がやりたいのではなく、どうやったら生きられるのかを真剣に追究しているからです。この場合、現地の人に必要な情報を提供することが一番重要であって、現実に役に立つ理論かどうかという観点からしか評価されません。ここに至っても、たとえばある若者論の論客がツイッター東浩紀に難癖をつけて、東氏から「打ち負かすことに興味がある人」にはうんざりすると辟易されていますが、難癖をつけた人のみっともなさが際立つのと同じ文脈ですね。)


しかし、この点に関して、ツイッターでは、有効な利用方法があるのではないでしょうか。
ツイッター以前、たとえば2ちゃんねるのような巨大掲示板や、個人ブログのコメント欄などに見られるように、批判というよりは罵詈雑言、誹謗中傷という雑音の応酬が少なくありませんでした。これでは、精神的にも時間的にも消耗します。しかし、ツイッターでは、罵詈雑言・誹謗中傷などではない「理性的」な批判者も存在します。そういう人のツイートをフォローすれば、批判派の批判の焦点は何かというのを容易に知ることができます。

グラムシは、「政治闘争では敵の一番弱いところを突け、理論闘争では敵の一番強いところを突け」といった趣旨のことを書いていたと思います(ひょっとすると間違いかもしれません。また時間があるときに調べてみます。)。ですから、批判者のなかで、理論的支柱になっているような人のツイートをフォローし、その言い分に対して反論できるかどうかを考えてみればよいのです。ツイッターでは、できるだけ雑音を排除しながら、議論を深めることを可能になると思われます。

理論闘争したいわけではない人は、どうすれば良いでしょうか。また別の機会に詳述したいと思いますが、様々な人が発している意見を整理したり繋げたりして世界のひとつの構造を描き出す“キュレーション(Curation)”というものを利用するのも1つの方法でしょう。このようなキュレーションを通して、全体構造を容易につかむことができるようになるかもしれません。さらにキュレートしてみるのもメディアリテラシーの訓練になると思われます。


最後に、少し内容が変わりますが、権力者につけ込まれない/つけ込ませないメディアリテラシーというものが必要になってきています。
原発事故以降、メディアを取り締まろうとする動きが盛んになりました。朝日新聞に次のような記事がありました。

■震災に関するデマをめぐる主な動き
3月11日 警察庁がデマ取り締まりの方針を決める
  12日 「自衛隊、県庁が個人からの支援物資を受け付けている」という誤情報が発信。前後して「有害物質の雨が降る」「埼玉の水道に異物混入」「被災地へ送電のため西日本で節電が必要」といったチェーンメール
  13日 総務省チェーンメールやネット上の誤情報に注意を呼び掛け
  16日 警察庁が各都道府県警に「防犯対策の徹底」を通達。「ネットや携帯メールに出所不明の不正確な情報の流布が懸念される。国民が不安を抱かないよう適切な広報を」と求める
  17日 警察庁がネット関連の4業界団体でつくる「違法情報等対応連絡会」にデマを発信した利用者への注意喚起を依頼
  25日 宮城県警本部長が避難所でチラシを配り、デマに惑わされないよう呼びかけ
4月1日 警察庁がネット上のデマ削除をネット事業者に依頼したと発表
  6日 総務省がデマに適切な措置を取るよう4団体に要請
  8日 4団体の一つテレコムサービス協会が、警察などから要請を受けたデマへの対応をホームページ上で公開

「ネット削除、動く警察 『みる・きく・はなす』はいま」

裏を返せば、権力者は、これまでのマスコミのように飼い慣らされていない、ツイッターやSNSやブログなどの新しいメディアを恐れているということでしょう。ツイッターでは、リツイートという機能を通して、デマが拡散されやすい性質を持っています。そして、デマを理由に権力の介入を招いてしまいます。出所のはっきりしない情報は、慎重すぎるぐらい慎重にリツイートするかどうかを考えなければならないでしょう。また、同時に権力介入自体を許さない世論をどう作るのかというのも、リテラシーとして必要となります。中国や北朝鮮や中東などの言論の自由への弾圧に対しては、批判的な意見が多いものと思われます。だから、情報統制に対する反対世論を作る素地はあるのではないかと思います。