事故から何を学ぶのか

といっても、原発事故ではなく、居眠り運転のクレーン車が突っ込んできて小学生6人が亡くなった事故の話。まだ、事故を起こした運転手の状況などが伝わってきていないので勘違いがあればお許し願いたい。

まずはじめに、子どもを持つ親としては、突然我が子を奪われた悲痛は察するにあまりある。こんなことはそもそも起こって欲しくないのだが、起きてしまったことは元には戻せない。だから、せめて出来ることは、この事故から何を学ぶのかということだろう。

昨日の事故を受けて、本日は、警察官が先導して保護者が付き添って登校したというニュースがあった。見方によっては、昨日の今日で事故は起こらないだろうに、思うかもしれない。もちろん、いままでもずっと通学路だったわけで、これまで事故が起こってなかったのだとすれば、二日続けて事故になる確率はきわめて低いだろう。

でも、登校する小学生、特に事故の被害となった子どもも含む通学班の子どもたちからすると、事故が起こるかもしれないという恐怖よりも、昨日の事故の光景が脳裏によみがえるということの恐怖の方が大きいだろう。そういう意味では、大人に見守られていることは、少しかもしれないが安心の足しになるのではないかと思う。

次に、運転手の居眠りである。会社からわずか700メートルのところで居眠りをしたということなので、過労だったのか、遊んでいて寝不足なのか、何か睡眠障害でもあるのか。

ここからはあくまで仮定の話であるが、過労だったのだとすると、過労になるまで働かせた会社の責任が問われるだろう。しかし、過労になるぐらい働いてもらわないと経営がなりたたないような事情があるのだとすれば、これは一会社の問題ではないだろう。ギリギリの金額で仕事を買いたたける仕組みそのものを改善しない限り、このような過労はなくならない。人びとの間には、昔と違って「タダほど安いものはない」という精神が浸透している。何でも安ければ安いほど良いという消費者の態度は、他人の労働を搾取することを平気とすることと同義だ。一人ひとりのなかにある労働者を搾取する精神が、今回のような事故の原因になっているかもしれない、ということを考えてみる必要がある。


また、運転手が夜遅くまで遊んでいたのだとすると、夜遅くまで遊ぶ場所も遊ぶ素材もあるという生活スタイルも問題にしなければならない。コンビニもテレビ番組も24時間フル稼働だ。もちろん、個々人が次の日の仕事を考慮して早く寝るという判断できることも重要だが、すべての人が最適な判断力を持っているとは限らないのが現実だ。このような事故を出来る限り減らそうと考えるなら、そのような人がいることを前提にしたとしても事故が起こりにくい仕組みを考えるしかないのではないか。その一番手っ取り早い方法として、基本的に夜にすることがない社会をつくるということが考えられる。ちなみのこのような社会は、環境にも良いし健康にも良い。CO2削減、医療費削減につながることも期待される。


さらに、運転手が遊んでいて寝不足の場合、「今日は休みます」と言える社会ではないといけない。あまり頻繁に休まれても困るが、どうしてもダメそうなときには、代わりの人がいる社会でないといけない。これもまた会社がギリギリでは困るということだ。JALの「再生」では、休みが多かった人から解雇したようだが、そうなると今後クビを怖れて、体調が悪くても休まない人が出てくるのではないか。下手をすると機長が途中で意識を失うなどという事故も起こりかねない。ことほどさように、会社は体調不良者が休める余裕をもっていなければならない。


もちろん事故をすべて会社や社会のせいにはできないだろうが、いろんな人がいる中で、いかに事故を減らしていくのかということを考えるなら、そのような社会の改善は避けて通れない。被害者やその親族・友人が運転手を恨むのは仕方ないとしても、他方で、事故の原因を運転手個人に押しつけておしまいにしてしまっては、同様の事故は減ることはないだろう。



追記
 捜査で分かったことだが、事故を起こした運転手は持病があったそうだ。運転免許更新のときに自己申告しなければならなくなっているようだが、自己申告で良いのかどうかが問題になるだろう。
 これまでも数度全損事故を起こし、2008年にも登校中の小学生をはね、骨折させる事故を起こしているという。
 これまでの事故において、運転手は「疲れによる居眠り」「パンク」「スピードの出し過ぎ」等、病気のことを隠していたのではないかと思われる。免許がないと仕事を失うという強迫観念があったのだろうか。だれか免許無しでできる仕事を紹介することはできなかったのか。新聞では、今回の事故に関して、発作を抑える薬を飲み忘れたということも書かれている。
 持病がある人を補足して免許のときに参照できる仕組み、事故を頻回に起こす人に関して調査する仕組みが必要なのかもしれない。もし薬を飲めば発作がおさまるなら、きちんと会社に申告して、会社の方で薬の服用をチェックできるようにしておいてもよかったのかもしれない。
どういう場合に免許が取り上げられ、どういう場合に取り上げられないのか、取り上げられたときに後の仕事をどのように補償するのかという枠組みがきちんさ整備されなければならないだろう。持病を隠さなくても生きていける社会をどう作るかということが問われている。