子どもの年間被曝許容量を大安売り

驚くべきニュースが飛び込んできた。

「校庭活動に放射線基準…文科省、福島県に提示へ」という記事によれば、

基準は、児童生徒の年間被曝(ひばく)許容量を20ミリ・シーベルト(2万マイクロ・シーベルト)として、一般的な校庭の使用時間などを勘案して算定する方針。原子力安全委員会の助言を得た上で、大気中の線量基準などを同県に示す。基準を超えた場合、校庭を使用禁止にし、授業を屋内だけに限るなどの措置をとる案も出ている。

いままで1ミリSVだったのだから、一挙に20倍に拡大したわけだ。

まず、許容量の数値を操作すれば現実に対応できるという考えが安易すぎる。この間の政府の広報活動の成果として、そんな方針の発表で安心できるほど、もはや政府の発表に信用はない。誰も信じていない。事故後すぐに、原発作業員の被曝許容量を年間100ミリSVから250ミリSVに拡大したが、ニュースによると、どこの電力子会社も作業員の合意がとれないので上限被曝量を100ミリのままで管理しているという。万一100ミリを超えることさえためらわれるので、上限を80で運用しているところもあるという。

ましてや、これは原発作業員の話ではない。放射線の影響をより強く受ける子どものことである。万一子どもたちがガンなどになったときに、つまらない頭を下げられてもお金を貰っても、なんの足しにもなりはしない。他者の苦痛・心痛に少しでも心をいたすなら、こんないい加減な対応はできないはずだ。逆に言えば、ほとんどの政治家や政府が、いかに国民の生命と健康に心を砕いていないかということが明らかになったということである。これを許容している原子力安全委員会の研究者たちも同罪であろう。愛国心教育が強化されているが、こんな政治家と研究者が牛耳っている国を愛せという方が無理があるだろう。

それはさておき、これを基準の大安売りと言わずになんというべきか。そして、政治家は気づいていないかもしれないが、庶民は「安すぎるものには何か裏がある」ということを生活のなかから学んでいる。だから、みな今回の基準の大安売りも疑ってかかっているのだ。そんなに安易に基準を変えられたからといって、福島の母親たちは子どもの被曝に無関心ではいられないのだ。被曝しないで済む場所にすぐにでも子どもたちを避難させて欲しいのだ。政府が、金と手間を惜しんで避難させないで済ませようとしていることぐらい見抜いているのだ。ただ、金もつても無い人はどうしようもないだけなのだ。

庶民とは次元の違う生活をしている政治家や官僚は、安売りのものも買ったことがないから、こんな小手先のことで国民をだませると思っているのだろう。これまで、国民の生活や思いに心を砕く政治家を選んでこなかったことの報いではあるが、今からでも遅くない。基準を変えて済ませる政治から、国民の生命を第一に考える政治に変えるべく、わたしたちは投票で意思表示をしていかなければならない。

今日は、いくつかの自治体で、今後数年の政治が決まる日。