日本人って???

一昨日は全国で反原発のデモがあった。芝公園は2500人ぐらい。高円寺は1万5000人と言われている(訂正:主催者発表1万人、警察発表2000人。まあ動画で見る限り2000なんてことはありえないが)。僕が参加した名古屋は500人もいなかったのではないか。

おとなしい日本人がここまで動いたこと自体を前向きに評価する向きもあるが、原発事故のあった日本で、しかも通常より高い放射線に晒されている東京でさえ、たったこれだけの規模なのだ。ドイツでは25万人がデモに参加したというのに。ドイツではこのうねりのなかで、原発を2020年までにすべて廃止するという政策転換を行ったという。

日本のこんな反応では、原発の継続を容認しているようなものではないか。東海地震が来て、その震央予想範囲のど真ん中にある浜岡原発で大事故があってからでは遅いのだが、どうやら事故が起きるまで停止しそうにない。事故が起こったら停止しないかもしれないけど。

日本人には―支配者による教育の「成果」だろうか―自分たちの未来を自分たちで作っていくという意識が弱く、こんな事故が起こっても、政治家に任せておけばよいというお任せ民主主義感覚が強いことを再認識した。

ちなみに、USTの岩上チャンネルでの小出裕章へのインタビュー(http://iwakamiyasumi.com/archives/8030)を見る限り、福島第一原発は、原子炉から高濃度の放射性汚染水を漏らしながらも、辛うじて最悪にならない綱渡り状態を維持しているにすぎない。人々の感覚とは違って改善しているわけではない。検出された物質からすでにわずかに再臨界が生じていることが推測されるようだが、今後、何らかの形で再臨界が進むと、原発にだれも近づけなくなり冷却不能に陥る。広荑隆が予言した1〜4号機すべてが爆発する確率だってゼロではない。そうなれば。チェルノブイリの数倍〜10倍の放射能が漏れ、原発から最大半径700kmからの避難が必要になる。名古屋もアウトだ。

ところで、おとといの名古屋のデモ。主張が不鮮明だった。幟やプラカードには「がんばろう日本」とか「東北のことを忘れないで」とか「東北に愛を」というものが多く、マイクでのスピーチもそのような主張が多かった。個人的感想では、沿道沿いの人たちに媚びているではないかと思われた。東北支援なら東北支援、原発反対なら原発反対できっちりと主張を決めてデモした方が、沿道にはアピールするだろう。見ている方も、参加している方も、何のデモなんだろう???って感じだったのではないか。

僕は、デモの中盤までは行進の真ん中あたりを歩いていたんだけど、後ろの方で鳴り物入りで「原発考えよう!」と連呼して踊り跳ねている人たちがいたので、そっちに移動して一緒に「原発考えよう!」と叫んでいた。それでも「考えよう」では温いな〜、と思いつつだけど。本当は、すぐにでも浜岡と北陸の原発を止めさせることが必要なんだけどね。


おまけの話

日本では、沿道の通行人がデモに飛び入り参加するというのが少ない。ヨーロッパなどでは、デモの内容によってすぐに参加して人数が膨れあがるが、日本の場合には最初から最後まで同じ人が参加している。むしろ、周りの人の目は冷たい感じ。日本で参加者が少ないのは、こういうデモ文化の違いもあるのだろうか。