東日本大震災の教訓(その1) 人間にはムダが必要だ

まだ震災が続いていますが、今回から何回かに分けて、震災地域では無いところから見た「震災から得られる教訓」について書いていきたいと思います。

今回は、「人間にはムダが必要だ」というお話。

世間では、「効率性」の大合唱で、大学などでも、研究室や教室、機器の稼働率ということがさかんに言われます。こうして、「税金をムダ無く利用し尽くしています」と稼働率を調べて公表することで説明責任を果たしているという形がとられます。

ここにあるのは、「ギリギリいっぱい」の状態が良いことだという価値観です。

今回の福島第一原発の事故に関して言えば、東京電力営利企業であることから効率性を重視していたことが伺われます。たとえばそれは、マグニチュード7.9程度を想定していたというところにあらわれているでしょう。記録のある歴史上最大マグニチュードの9.5を想定すれば、発電所の建設に余分なお金がかかります。「起こらないかもしれない大地震に備えるというのはムダだ」というわけです。これは一事が万事であって、津波の予測もそうでしょうし、水の確保についても、電源の確保についても、効率性を重視して、ムダを排除していたことが、今回の事故を大きくしたわけです。

そのほかにも、全国の自治体が、被災者・避難生活者を受け入れようとしていますが、公営住宅は入居者がいっぱいでほとんど空きがありません。全国的にパラパラと空きがあれば、かなりの被災者を吸収できたのではないでしょうか。もちろん、誰を優先的に入らせるのかという優先順位を決める必要はありますが、仮設住宅の建設を待たず、何割かの被災者はすぐにでも居住できたでしょう。

また、オール電化というのも、ある意味でムダの排除です。東京電力はガス会社をライバルとして、オール電化を推奨してきました。その結果、オール電化の住宅はけっこう増えているのではないでしょうか。「同じ役割を果たすなら、電気とガスの両方を引くことはムダだ」ということになるわけです。しかし、今回、計画停電のためオール電化住宅は大変なことになっているのではないでしょうか。ガスが出ればお湯も沸かせたのに。

「いざというときにムダが力を発揮する」というのは、たとえば、コンピュータなどの世界です。ミッションクリティカルなところでは、電源等の「冗長化」ということが必須です。

冗長というのは、言い換えればムダのことです。ムダだからこそ、いざというときに力を発揮するわけです。

湯浅誠の著書に、

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

があります。この本を始めとして、湯浅誠は貧困を語る際、「溜め」という言葉を用いています。病気になったり、就職がなかったり、会社をクビになったりしたときに、経済的、人間関係的、等々の「溜め」が力を発揮するというわけです。「溜め」がないといざというときにあっという間に転落することになるわけです。

ムダがないということは、貯金も、友だちもない状態ですね。こんな状態では一大事があれば即アウトですね。

別の言い方をすれば、「遊び」が必要だということでもあります。車のハンドルにも「遊び」があります。ハンドルを切ったとおりに正確に車が動くと、かえって危ないわけです。

今回の震災から学ぶべきことの一つは、効率万能主義ではダメということです。ムダ、溜め、遊びのある社会をつることが、強い社会をつくることになるということです。


ここからは余談ですが、今回の被災民は、「金無し、家無し、(人によっては)身より無し」というように、まさに一気に「溜め」がない状態に陥り、「ホームレス」化したわけです。そういう彼らを、世間の多くの人たちは一生懸命支えようとしています。平常時のホームレスやネットカフェ難民のなかには、「溜め」がなかったためにそうなってしまった人も少なくないのですから、「自己責任だ」と非難するのではなく、今回の被災民と同様、ぜひ手をさしのべて欲しいものだと思いました。


Tremble and Nuke disaster is still going on. But from today, I'm going to write down the lesson about this calamity from a little far off the place.

This time, I write the article about " we human being and society needs wastefulness".

These days people tend to regard only efficiency as important. At university, we are required high operation rates about laboratory, classroom, machines, or something like that. University make it public and think it could do its accountability.

It means that "very close to limit" is valuable.

As to accident in FUKUSHIMA nuke plant this time, Tokyo Electric Power Company seems to pursue efficiency as much as they can, because they are profit-making company. They anticipate earthquakes magnitude 7.9. Of course they could anticipate magnitude 9.5, but it costs too much. So they dared not to do that. It is also said as to the height of TUNAMI, ensuring the water and electricity. Efficiency made things worse.

Now local government is trying to offer the housing for evacuees. If they had built enough public housing, they could offer them right away.

All electric housing also cut down on wastefulness. But it was revealed weak under the blackout.

Redundancy is needed for mission critical area. Redundancy means kind of wastefulness. But it works under the emergency.

YUASA Makoto insists on the importance of TAME(It means sort of room.) If someone without room fails in something, he or she falls straight down to the hell.

In other words, we need play. The play in steering wheel is inevitable. If it were not for play, driving would be very dangerous.

Anyway efficiency for efficiency is useless. Wastefulness, room, play is necessary and indispensable for strong society.