国立大学の国旗掲揚・国歌斉唱問題について

ネトウヨ自民党よりも遙かに右に行ってしまい国民から見放され、存在意義を失って議席を大幅に減らした次世代の党はまだ懲りていないようだ。次世代の党の松沢氏が国会で安倍首相に、国立大学の入学式等での国旗掲揚・国歌斉唱を要求したという。

国会でのやりとりについては、産経新聞の記事「国立大で国旗、国歌を」首相、入学式などでをご覧いただきたい。

そして、これを受けて、下村文科大臣が国立大学に国旗掲揚・国歌斉唱を要請するという。国立大に国歌斉唱を要請へ 下村文科相「強要ではない…」

すでにFACEBOOKでも論評したのだが、若干加筆修正して、ここにも掲載することにする。

①ユニバーシティーであることを忘れるな

次世代の党の松沢氏も安倍首相も、なぜ大学が英語でuniversityというのかきっと考えたこともないんだろう。universeには「宇宙」・「天地万有」という意味や「全人類」・「世界」という意味がある。その派生語のuniversalには「宇宙の」や「万人の」という他に「普遍的な」という意味がある。
これを見ればわかるように、大学は一国におさまるものではなく、全世界・全人類のものであり(宇宙人も含んで良いかもw)、文字通り、世界から人が集まり、知を高め合い、真理を発見していく場である。日本政府も日本の大学の世界大学ランキングにおける順位アップを求めたり、留学生の獲得を声高に叫んでいるところである。しかるに、国旗・国歌ときた。国旗・国歌なんて言ってたら、そのうち日本の大学だけ英単語がuniversityからdomesticityに変えられるんじゃないだろかと心配せざるをえない。

ここでは、大学が持つべきマインドをうまく言い表しているサン・ヴィクトルのフーゴーの有名な一節を引用しておこう。

故郷を甘美に思うものはまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力を蓄えたものである。だが、全世界を異郷と思うものこそ、完璧な人間である。

教育基本法に関連して

安倍首相は、上記の新聞記事にあるように「教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」と述べているが、安倍首相は教育基本法をきちんと理解しているのか、あるいは、故意に自分に都合の良いように解釈したのか。
教育基本法の大学に関する条文は以下の通りである。

第七条  大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。
2  大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。

この条文を読めば、大学は教育基本法に則って「粛々と」自主的・自律的に国旗・国歌を突っぱねることができるのである。法律を武器として学問の自由を守るか、権力におもねるか、それは大学人次第である。

ちなみに、改悪される前の教育基本法の前文には

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

とある。改悪教育基本法(2006:第一次安倍内閣時に成立)は、このなかから「普遍的」という文言を削除し、きわめて内向きの(domesticな)前文に書き換えている。このときにすでにuniversityに対する攻撃が始まっていたとみることもできる。

③大学は根本において批判的でなければならない

学問とは、既存の考え方や理論やものの見方を批判することから始まる。国家権力ごときからの要請を批判することなく「仰せの通りに」なんて甘受しているようでは、学問の府とは言えないだろう。これに抵抗できない大学人たちは、domesticityにふさわしく、domestic animal(家畜)と呼ばれるようになるのではないか。こうなってしまえば、もはや知識人ではなくただの小役人である。

④税金の投入は国旗・国歌強制の理由にならない

先の記事に、税金で賄われているとかかれてあるが、これで国旗・国歌を強制する理由にはまったくならない。
まず、国立大学は、各大学でその比率は異なるだろうが、自主財源ももっている。受験料、授業料などの自己収入、企業からの研究受託金などだ。もちろん、全予算の中では一部だが、教員養成大学のような小さな大学ほど、自己資金の比率は高い。すべて税金で賄われているわけではないし、ここのところ、運営費交付金はどんどん削られている。税金投入を減らしておきながら、税金を持ち出すのも、どうかと思う。
また、税金は国民が納めているのだが、国旗・国歌は国民の間でも意見の分かれる問題だ。だから、原資が税金であるからこそ、一方の意見のみを強制する事は間違いなのである。