生活福祉と教育福祉

昨夜の研究会での子どもと貧困の問題と教育に関するメモ。

たとえば、とても貧困で食事もまともにとれていないような子どもがいたとして、担任が、その子におにぎりを作ってきて食べさせるとする。しかし、その子への福祉は、その担任任せであり、担任が転任していったら終わってしまう。だから、0歳から18歳まできちんと福祉の面倒をみることのできる福祉事務所が大切だという話になった。

しかし、だ。福祉事務所の仕事が本当に担任がおむすびを作ってきて食べさせることの肩代わりになるのだろうか。子どもの年齢にもよるが、たった一年でも自分のことを気に掛けてくれる人がいる、自分のことを心配してくれる人がいる、と経験できることは、単に空腹を埋められたかどうかとは異なる意味があるのではないだろうか

この問題を考えているときに、照本さんが「生活福祉」と「教育福祉」とで考える必要があるという提起をされた。これは重要な概念だろうと思う。

子どもにとって必要な福祉を整理した上で、これまでどんなセクションの人(教師、ソーシャルワーカー等々)がどんな形で援助してきたのか、現在どのように援助されていて、どの部分が不足しているのかを明らかにする必要があるという課題が明らかになった。

さらに言うなら、中学校になって貧困化した子と、保育園段階、小学校段階で貧困化している子どもにとって、必要な教育福祉の姿・形は異なるのではないかという疑問も出てきた。これも課題だろうな。

ということで、今日は、午前中が、神奈川県内で貧困者向けの無料塾(勉強会)をやっている人たちからの聞き取り調査。午後が、貧困家庭を抱える地域の学校の先生からの聞き取り調査。彼らの活動の福祉の意味と教育の関係について考える一日になりそうだ。