生涯競争が続いたら生きる希望はなくなるわ

韓国の有名な理工系大学で、自殺が相次いでいるという。

「相次ぐエリートの自死 韓国の大学 懲罰成績制が原因か」によれば、

韓国で最も優秀な理工系の学生が集まるといわれる国立韓国科学技術院(KAIST)で、今年に入って4人の学生が自殺した。教育熱が高い韓国だが、行きすぎた成績至上主義が背景にあるとの指摘が出ており、「天才たちの悲劇」として社会問題化している。

ということらしい。徐総長が導入した「懲罰的登録金制度」と全講義の英語化が原因だと指摘されているようだ。

懲罰的登録金制度の導入によって、

KAISTの学生たちは授業料を全額免除されていたが、新制度は成績を1学期4.3点を満点にして、3点未満の学生に対し、0.01点ごとに6万ウォン(約4600円)の納付を義務化。成績次第で年に最高1500万ウォン(約115万円)を払わなければならなくなった。

自殺した学生のうち2人は英語の成績が3点を下回っており、英語の苦手の学生は苦戦を強いられているようだ。

社会問題になって、学生側の要求を総長が受け入れる形で自体は収束に向かっているようだが、

別のニュースでは、この総長、

英紙ザ・タイムズの世界大学ランキングで2006年198位から2009年に69位に上昇するなど功績が認められ、昨年再選した

「韓国エリート大学で相次ぐ自殺、スパルタ式の副作用か」

のだとか。それもあってか

韓国では故金大中(キム・デジュン)・元大統領の平和賞以外にノーベル賞の受賞者は出ておらず、科学技術分野での人材育成自体は必要だとして、徐総長の手法を支持する声も強い。

という。本当に東アジアの人々は救いがたい。これも教育の「成果」なんだろうね。

大学のランキングを上げたり、ノーベル賞を取ることが、大量の自己否定感の強い若者を生み出したり、さらには自殺者を出してまでやるべきことなんだろうか。一部の簡単に目に見える「形」でしかものごとを判断できない人が多いんだなぁと思う。最近の数値目標とかもそうだけど。

しかし、このことは、対岸の火事ではない。日本でも大学では「教育の質保証」ということが言われ、卒業まで競争したりガリ勉しなければならない方向に「改革」されようとしているし、英語で授業しろという政府からの要求も強い。「質保証」導入に積極的な学者さんや政府の面々は、自殺者が増えたら責任とれるんだろうか?


そもそも、日本や韓国も含めた東アジアの大学教育の問題は、高校までの受験一辺倒の教育にある。大学に入りさえすれば将来が安泰だという幻想によって、大学受験まで、イヤなのをガマンして勉強している。ちょっと先に大学入学というトンネルの出口が見えているからこそ、なんとか高校時代まではがんばれるのではないか。イヤイヤやってきたのに、いざゴールしたと思ったらまたゴールが遠ざかっていくようだと、イヤなことをずっと続けなければいけないという絶望感にうちひしがれるに違いない。


そういう状況では、なんとなく大学の順位は上がっても、その人たちが本当に世の中に貢献する人になるのかと疑いたくなる。就職できたら、これでやっとイヤなトンネルともおさらばだとばかり、できるだけ楽して金を儲けたいと思うだろう。そうやって、他人をゴミのように使い捨てにして金儲けする財界人や天下りで大金を手にする官僚が生まれてくるのではないか。


有為な人材が生まれないのだとすれば、それは、高校までに勉強で「おもしろい、もっとこんなことを知りたい、深めてみたい」と思えるような人を育てる教育になっていないことが原因なのではないか。そうなっていないのに、いきなり大学でスパルタにしたってムリだって。


学問がおもしろいと思える学究肌の学生が集まったところで、若者は切磋琢磨されて知を高めていくのだ。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんなどの話を聞いていると、当時の名古屋大学は自由闊達に興味あるテーマを探究していたことが伺われる。


そうなんだよね。強制では良いものは生まれないんだよ。強制でもないのに何かにのめり込む。そういう素地を高校生までに育てていないことが、大学の質的低下を招いているんだよ。いや、より正確に言えば、学問分野で、そういう若者を獲得し得ていないってことだろうけど。だって勉強は嫌いでも、マンガやアニメや小説の制作やコンピュータなどにのめり込む若者はいるわけだから、のめり込む素質がないわけではないんだ。ただ、高校までのお仕着せの勉強に嫌気がさして、その分野から降りているだけなんだよ。


人々の学びや探究とは何か、ということについて大学研究者や文部科学省は探究すべきなのではないか。