3年B組金八先生ファイナルの感想

金八先生の最終回スペシャルを録画していたのを見た。初代3B放送のときに自分もちょうど3Bだったこともあり、書ききれないほど感慨深いものがある。

知人も書いていたが、好き嫌いの別れる金八先生だが、「ありえないから嫌い」という意見にだけは反論しておきたい。金八先生は、いくつかの先生をモデルにして脚本が書かれている。実際にモデルになった先生を何人か知っている。

ちなみに、ネットでは、金八先生のモデルとなった教員がセクハラだの選挙違反だのという記事が出ているが、これはあくまで武田鉄矢の感想をもとにしているだけであって、金八先生の脚本を書いた小山内美江子がモデルとした教員ではないので注意が必要だ。金八先生にひっかけないと人目を引く記事にならないからそうしたのか、金八先生の影響力を懼れて貶めようとしているのか知らないけど、誤解を招く記事だ。

それはさておき、今回は一点のみメモに残したい。

最近、私が大学で、同僚の教員にも学生にもよく言っていることと同じことを上手く言い表していた。それは、「怖い人がバスに乗ってきたらバスから降りる自由はあるのではないか」という生徒の発言に対して、金八が「社会からは降りられない」と応答したところだ。

私が現在の職場に赴任してきた10数年前には、同じ専攻の学生のタテの関係もヨコの関係も、現在より遙かに強かった。イヤイヤでも付き合わなければならないシーンというのは、あちこちに見られた。

しかし、10年ほど前、ある学年の学生が、タテの関係に不満を爆発させ「タテのつきあいをしない」という実力行使に出た。それ以来、専攻内でのタテのつながりはみるみる薄まっていった。現在では、イヤイヤ付き合うもへったくれもなくて、イヤなのかイヤでないのかを十分判断するほど接する機会すらなくなってしまったように見える。そうしたこともあってか、以前なら上の学年から下の学年に伝わったであろう授業の取り方だとか、論文の書き方だとか、ゼミの先生とうまく付き合うコツだとか、いろんなものが伝わっていかない。毎年同じ学年で同じような失敗が見られるようになった。

収縮したのはタテの関係だけではない。ヨコの関係でも同様だ。つながりが弱まったというよりは関係が小さくなったといった方が適切だろうか。ここでも気の合わない人とは付き合わない、というよりも偶然出会って偶然気があった人とだけ付き合うという傾向が広がっている気がする。

10年ほど前の学生がトリガーを引いたと責めたいのではない。おそらくその学年が何もしなくても、生じるべくして生じた事態なんだろう。なぜかって、わが専攻だけでなく、学生全体に見られるようになった傾向だからである。

しかしうちの大学の卒業生の多くは教員になる。教員になったら、気の合わない管理職や、学年の教師もいるだろう。これらの人と付き合わないわけにはいかない。さらに、自分が接したこともないような多様な職業の、多様な気質の保護者とも付き合わなければならない。学生時代まで気が合う人だけと付き合ってきた人は、気の合わない人、イヤな人とのつきあい方を身につけていないから苦労するのではないか。

だから、私は、教員にも学生にも、一つの通過儀礼として、気の合わない先輩・後輩の関係を経験したり、全員参加の行事に参加したりすることは意味があるのではないかと語っている。

もちろん、気が合わないから「適当に付き合う」という処世術から始まって、しかしそこに留まらず、「なぜその人がそのような考え行動するようになったのか」を理解するところまで深めて欲しいというのが本音だけど。

いずれにしても付き合ってみなければわからないことはたくさんある。食わず嫌いで終わるより、多少の傷は覚悟で関わってみることが大切なのではないだろうか。幼少時よりそのような経験をつみ重ねていけば、少々のことでは傷つかない―鈍感とは違う―心と体に育つような気もするのだが。傷つかないように親も本人も防衛的すぎる気がする。

防衛的なのは良いとしても、呉々も犯罪者も含めて「あいつは気が合わないから、あいつは理解不能だから、社会から抹殺してほしい」と言うような人間だけは育ててはいけないと思った。

あっ、それから金八先生のコンプリートDVDが発売されるってAV Watchの記事にあった。22万円もするが、各教員養成大学・学部には一式あって良いのではないかと思う。


追記
 そういえば、同窓会的なところに時間をかけて、今回のドラマの肝心の部分、つまり周りの無関心な子どもたちの変化のドラマが描けてなかったのは残念だった。