公務員バッシングは正当か?

世の中では公務員バッシングが流行っている。

だから、今回の震災の財源として、超法規的に国家公務員の給与を5%カットするという案が浮上したのを聞いて、「そうだ、そうだ!」と気勢(個人的には奇声と言いたいところ)を上げた人も多いのではないか。

しかし、ちまたの議論を見ているとどうも勘違いが多い気がする。

第1に、「国家公務員は全体の奉仕者である」ということに対する誤解だ。公務員が「全体の奉仕者」であるというのは、別に「国民のためにタダでも働け」といっているわけではない。国家権力のしもべとして国家の命令を国民に上意下達するのではなく、「国民のために働きなさい」ということを表しているに過ぎない*1。

*1「過ぎない」というのはちょっといい「過ぎ」で、戦後しばらくたって以降、いつの間にか国家の命令を国民に伝達するような立場に変質してきているから、それはそれで大問題ではある。が、ここでは、それは脇に置いておこう。

要するに、言いたいことは、公務員は会社員と同様に労働者であるということ。ちょっと違うとしても、それは個々の会社のために働くのではなく国民全体のために働くという程度だ。今回の震災を受けて、ネットなどでは国家公務員は給与なしで働けという極論も見られるが、それは会社でのタダ働きを認めることと同じことになる。

第2に、「公務員の仕事は楽だ」という誤解である。もちろん、地方や役所の中の部署によっては、季節的に楽な部署もあるかもしれない。しかし市役所などの総務課などに行ってみると良い。深夜まで働いているのはざらだし、土日出勤している職員もめずらしくない。多くの人が、窓口にしか行かないから、5時に窓口の閉まる役所の職員はみんな5時で帰っていると勘違いしているのだろうか。それなら銀行職員は3時に帰れちゃうよね。また、時間だけでなく仕事内容も、かなり頭を使わないとできないような複雑な仕事もこなしている。

第3に、「公務員は給料が高い」という誤解である。まず一流企業の給料と比べるとはるかに少ないことは明白だ。以前は公務員夫婦二人の所得と一流企業の男性社員ひとりの所得とが同じぐらいだと言われこともある。一流企業は専業主婦に家事育児を丸投げするために、その分も所得に含まれると言われていた。そのころとは状況はずいぶん変わってしまったが、それでもやはり一流企業と比べるとかなり給与は低い。もちろん、零細企業や第一次産業のような民間に比べると所得は高いだろう。しかし、それは零細企業や第一次産業従事者の所得より一般企業社員の所得が高いのと同様だろう。問題は、学歴や就職の競争率などから考えた場合に、どのような「民間」と比較することが公務員と民間を適切に比較したことになるのかを抜きに議論が行われていることだ。

第4に、「公務員は天下りして大儲けしている」という誤解だ。もちろんそういう方も霞ヶ関のあたりにはいらっしゃる。最近も、経済産業省から東京電力に大量に天下りしていたというニュースを見かけた。しかし、天下りできるのは東大等を出たほんのごく一握りの高級官僚だけだ。圧倒的多数の公務員はまじめに働いて甘い汁を吸うことなく退職していくのだ。

さて、今回の公務員給与カット案。たしかに心情的には、震災の復興のためなら一年ぐらいはやむを得ないかもしれないとは思う。しかし、仕事量が減るわけでもないのに(むしろ復興関連で仕事は増えるだろう)、なぜ公務員だけ狙い撃ちなのか釈然としない。なによりも、これを認めることは、労働者の給与を一方的に削減して良いと認めてしまうことと同義である。そうなれば、民間企業でも、会社が困っていると言えば労働者の給与を勝手にカットしてよいことを認めてしまうことになる。

それに加えて、万一、復興経費の中に、東電が補償賠償しきれない損害額の穴埋めも含まれるのだとすれば、断固拒否すべきだと思う。拒否しても強行するというなら、東電の社員の給料も全部公務員の給与水準まで下げてもらわなければならない。役職者の収入は数千万円は下がるだろう。ヒラの社員も100万円以上は下がるはずだ。

あえてこの時期に批判を覚悟でこの問題を採り上げたのは、「震災のため・復興のため」と言えば、人権もなにも無視して良いことになってしまう社会は、健全な社会じゃないと思ったからだ。

そういえば、石原慎太郎に関する次のようなニュースも入ってきた。

死者・不明者だけで2万7000人を超えた大震災。29日の会見で石原氏は、太平洋戦争を引き合いに「同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感ができてくる」「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」と、都民に対し、事実上の“花見禁止令”を通達した。

http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110330/mca1103302006015-n1.htm

震災や国難をダシにして人権を蹂躙する社会が戦時中のあの息苦しい社会であったことを想起すべきだろう。


追記

そういえば、ヨーロッパでは、公務員の労働条件切り下げ反対運動に民間企業の労働者も連帯することがよくある。公務員の雇用条件の悪化は、労働者の雇用条件悪化につながることをよく理解している。だからヨーロッパでは日本のように派遣・パートの一般化のような雇用条件の悪化が広がらず、一定の水準で維持されている。

日本では、好況だと公務員を見下し、不況になると公務員を妬んで引きずり落とそうとする。それが現在の労働者の惨憺たる状況を加速させているのたが、その傾向は拍車がかかるばかりだ。

為政者や財界の「労働者同士に脚を引っ張り合わさせる」という戦略にまんまとはまっている。それが日本を世界有数の高貧困率国にしているのだが。