もう一つの被曝問題―医療による被曝

放射線というのは本当にやっかいなものだ。

目に見えないし、線量が強烈でなければ、人体にすぐに影響が現れない。だから、放射線の危険性についてきちんと学んでいない人は「安全だ」と言われれば「そんなものか」と思ってしまう。これは人間だけではない。天然にはあまり存在しない強烈な放射性物質を作りだしているので、動物の本能にとっも「想定外」だから、未対応であり、危険には気づかない。

本日、南相馬市から避難していた人たちが戻り始めたというニュースもあり、スーパーマーケットも人で賑わっていた。マスクをしていない人もいた。もちろん、避難所生活の大変さはわたしの想像を絶するものだろうし、テレビニュースであったように「親族が痴呆症で徘徊するので周りの避難者に迷惑をかけられないから」という状況もあるだろう。しかし、それ以外にも「みんなが戻っているんだから安心だろう」「みんなが街に出ているので大丈夫だろう」という人も多いのではないだろうか。

で、今日のタイトルもう一つの被曝問題とは、医療における被曝の問題だ。大丈夫だろうと思っている放射線の典型ではないだろうか。数年前、報道番組で、ヨーロッパではレントゲン等によって放射線を浴びすぎないように、レントゲン写真やCT写真を病院間で共有して、ひとりひとりの被ばく量を管理するシステムが作られているというのを放送していた。原発事故でヨーロッパの人たちがすぐに避難したのは、放射線の怖さを知り、それを常に意識しているからというのもあるんじゃないだろうか。

それとともに思ったのは、日本は海外に比べて自然の放射線量が少ないと胸を張っているが、実は医療からうける放射線量を合わせるとけっこう多いのではないかということ。特によくスポーツをする人などはしばしばレントゲンを撮るだろうし。

これを傍証する出来事をつい最近体験した。

先週、腰と首が痛くて、脊椎関係では有名な名古屋市内の病院に行った。そこで、レントゲンを撮ったのだが、「まあ手術するほどのことはないので、リハビリするなら近所の病院に行ってください。」とのことだった。それで、近くの病院に行ったら、「レントゲンを撮りましょう」と言う。私は「つい先週病院でレントゲンをとって骨にはまったく異常はありませんと言われました。あんまり被曝したくないので、レントゲンは撮りたくありません。」と伝えた。すると、「レントゲンをとらないとリハビリはできません。」と言われてしまった。それでリハビリはあきらめ、湿布だけ出してもらって帰宅した。

近所の医者が、レントゲンを撮らないと儲からないのからそう言うのか、そもそも保険の関係でレントゲンで判断しないとリハビリをやってはいけない仕組みなのか、よくわからない。が、いずれにしても、日本人は、病院での被曝に関してまったく鈍感だと思う。原発の被曝では大騒ぎするのに。医者も医者で、放射線の危険性について学んで来ているはずだから、被曝したくないという患者の気持ちを理解しなければならないはずだ。なのに、まったくそういう対応をしてくれない。医学部に入る前の受験まっしぐらの教育の影響や、医学部の教育の問題もあるかもしれない。

現在、TPP加入で医療が自由化されることが懸念されているが、これは単に農業だけでなく、医療の自由化も含まれている。これによって病院間の競争が激しくなるだろう。どの病院も生き残りのために高価な機器を購入し、元をとるためにできるだけそれを使おうとし、患者を放射線に晒し続けることになる。医者としての倫理を放棄していくことになるだろう。

放射線はできるだけ浴びない方が良い。となれば、医者は、写真を共有しても経営が成り立つような医療システムになるように活動すべきであり、患者を危険にさらすべきではないだろう。